先天性心疾患(心内膜床欠損)に立ち向かった小さな命

誕生するまで由宇斗、誕生心臓病発覚、最初の入院思いがけない言葉退院後の幸せな生活
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−とうちゃんが綴った−由宇斗物語
第2章 幸せを運んでくれた45日間

旅立ち

28日、昨夜も心配でやっぱりあまり眠れなかった。5時くらいから何度も目が覚め、先に一人で病院に行こうかとも考えていた。
昨夜の状況を聞きに9時に○子と二人で病院に行くはずだったが、あすとが精神的に不安定なため、私一人で行った。
9時半頃由宇斗のところでの説明となった。
昨夜腹膜透析を始めたがカリウムの値が減らないため、通常の血液透析に切り替えた。また出血も以前続いているので、止血の薬を替えたとのことだった。やはりまずは出血が止まってほしいとの状況だった。
呼吸するチューブにも血がついている。肺からも多少出血があるようである。
このとき初めて最悪の事態を感じられずにはいられなかった。しかしそれを振り払うように、由宇斗の手を握りしめながら「信じてる」と祈った。
その後で○子に連絡し、できればなるべく早く来て欲しいと伝えた。またおじいちゃんやおばあちゃんにも由宇斗のがんばっている姿を見せてやっては?と話した。このときなんとなく予感があったのかもしれない。
控え室ではいつも由宇斗の病室に一番近い椅子に座って祈っていた。「がんばれ」「信じてる」と何百回、何千回と。
このときはさらにいろんなことを考えていた。
「もし由宇斗の寿命が短いとしたら、神様に頼んで私の分をもっていってもらおう」
「僕はしぶといから80歳くらいまで生きるだろう、そうなるとあと40年近くある。これをもらってもらおう。でも僕が急に死ぬと○子もあすとも悲しむといけないから、20年後に○子と二人揃って死ぬことで二人の残りの45年くらいを由宇斗にあげるのはどうだろうか」
などと真剣に考えて祈っていた。
11時過ぎにもう一回由宇斗に会いにいった。とにかく顔を見て、手を握って祈りたいだけだった。
しばらくすると○子とあすと、おじいちゃんがやってきた。
○子とおじいちゃんに由宇斗に会ってもらった。そこで○子と交代して、私はあすとと一旦家に帰ることとした。
家に戻って食事をした後、ちょっとあすとを近所のプールに連れていこうとした。プールにいく途中でケータイに連絡があったときにすぐわかるように着信音を最大にした瞬間に○子からかかってきた。
泣き声で「由宇斗は頭も出血してしまったの。このままでは植物人間になってしまうかもしれないって」「だから補助循環装置を外すという決断をしなければならないので、2時間以内に来て」とのことだった。
もうほんとにこれが最後の決断になりそうだと直感した。とりあえずあすとをプールでしばらく遊ばせてすぐに病院に戻った。
これまでの状況から見て、この状態で補助循環装置いわゆる人工心肺を外すということは、もの凄く危険であることは誰にでもわかることだった。
病院までの途中、私は実家と姉の家に電話をした。そしてこれまでの状態を話して「これが由宇斗の最後のがんばりになるから応援してほしい」と告げた。溢れる涙の中精一杯の言葉だった。
病院についた、しばらくは控え室で○子と二人祈りながら待っていた。
4時過ぎ医師に呼ばれて、由宇斗の前まで行った。
頭の出血により全身がむくんでパンパンだった。スリムだった由宇斗の面影はなかった。
あまりの姿にただ涙するしかなかった。「これまでの処置によって私は由宇斗を苦しめていただけなのか」とも思った。
しかし「これが最後だ、もうひとがんばりしてくれ」と心の中で叫んだ。
説明を聞いたが、やはり補助循環装置を外すしか方法はないのである。
「非常に難しいとは思いますが」との前置きは承知して、私は「外してください」と呟いた。
心拍数はどんどんと下がっていった。
私達は由宇斗の手を握りながら、とにかく話しかけた。叫んだ。叱咤・激励もした。
「由宇斗」「由宇斗」最後はただ名前を呼ぶだけであった。
何十回、何百回呼んだであろう。
補助循環を外してから約10分、これまでよくがんばってきた由宇斗の心臓は動かなくなっていった。
8月28日午後4時25分、45日という短い人生に分かれを告げて空へと旅立ってしまった。
泣き虫のとうちゃん、かあちゃんを残して。

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