先天性心疾患(心内膜床欠損)に立ち向かった小さな命

誕生するまで由宇斗、誕生心臓病発覚、最初の入院思いがけない言葉退院後の幸せな生活
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−とうちゃんが綴った−由宇斗物語
第2章 幸せを運んでくれた45日間

由宇斗、誕生

私は一人手術室の前のソファーで待っていた。なかなか扉は開いてくれない。順調なら1時半くらいに生まれるはずである。
多少不安になりながらも待っていると、2時ちょっと前に手術室から保育器のようなものに入った赤ちゃんができてきた。
私はすぐに駆け寄った。看護婦さんは私に気付き、移動途中でちょっと止まって見せてくれた。
我次男である。横を向いて寝ている。顔がまだくしゃくしゃだ。初めて見る生まれたての赤ちゃんの姿である。
というのもあすとのときは、仕事中に生まれたので姿をみたのは4時間後ぐらいたった後だった。
私はそこから待合室まで走り、生まれたことを○子の両親とあすとに伝えた。産婦人科病棟の入り口で3人とも赤ちゃんの姿を見ることができた。
あすとは「ちっちゃい」と言ってうれしそうにはしゃいでいた。
7月14日13時41分、3145gでの誕生、窓の外には例年より早い梅雨明けの灼熱の太陽が照りつける暑い夏の日の午後だった。
しばらくして○子が手術室より出来てきた。麻酔のせいでまだ意識がはっきりしないようであった。
赤ちゃんは新生児室に入ったが、帝王切開の赤ちゃんはしばらく保育器に入れるようなので窓からちょっと見にくかった。
でもちょっと姿が見えるだけでもうれしかった。
この後○子の体調もしばらくよくならなかったので、「よくがんばったね、ありがとう」と声をかけて夕方帰った。
あすとと私の実家に帰り、両親に母子ともに無事であることを知らせた。二人とも大変喜んでくれた。
父は「祝い酒だ」と言って普段よりも酒を飲み、私もいつも1本のビールを2本にした。
最高に嬉しい日であった。

翌日15日は仕事の合間に病院寄った。○子はまだ寝たままだった。ただ話はできたので昨日のことを話した。
赤ちゃんの部屋は面会時間外のためカーテンが閉まっていて見ることはできなかった。
その翌日は夜に病院にいった。今日○子はやっとちょっと歩けるようになったようである。病室から赤ちゃんの部屋までゆっくりと一緒に歩いて見にいった。
今日は窓際にいるのでよく見える。初めは眠っていたが、しばらくすると泣き出した。
ここで二人は赤ちゃんを見ながら、どこがどっちに似ているなどと言いながら楽しい時間を過ごした。
また名前もそろそろ決めなければならない。私としてはいろいろ考えた中で「れおま」と「ゆうと」に絞ったことを○子に話した。
○子もどちらもいい名前だと賛成してくれた。後は漢字・画数などから最終的に決めていこうと考えていた。
最初は「れおま」が第一候補だったが、なんとなく「ゆうと」に傾きつつある。
病院に向かう途中で「やっぱりこの先長い間兄弟として生きていくのだから、関連のある名前の方がいいのでは」と思ったからである。
ちなみに「ゆうと」の「と」はあすとの「斗」は同じとして、「ゆう」はあえてあまり意味のもたないような漢字で「由宇」とした。
そこには「ゆう」という読みの漢字「優」「勇」「雄」「友」などいろんな意味にとれるように。また英語のユートピアにちなんで自分の理想を実現するようになってもらいたいからである。

17日、今日から三連休である。「これでゆっくりと赤ちゃんに会える。確かもう少しで病室へ移ってくるはずだ」と期待していた。
この日はあすとと二人で病院にいった。あすとも2日間おかあさんに会っていないので、とても楽しみにしていた。
病室にて3人で仲良く話をしているときに、看護婦さんが赤ちゃんを連れてきてくれた。
今日は窓から出なく直接見える。さわることもできる。急にうれしくなってきた。
この子を始めて抱いてみた。とても軽い。当たり前だ、たった3kgちょっとしかないのだから。
この軽さを体感すると生命の凄さを感じる。こんなに小さくてもちゃんと生きている、よく元気に生まれてきてくれたと。涙が出るほど心に感じるものがあった。あすとがいなければもっともっと抱いていたかった。
授乳が終わるとすぐに寝てしまった。○子が「この子はおっぱいをあげるとすぐに寝てしまうのよね」と言っていた。まだ何も知らない私は「よく寝る子は育つからいいじゃないか」と全く気にすることもなかった。
赤ちゃんを囲んでのこんなやり取りもとても幸せだった。
あすともおにいちゃんらしくやさいく頭を撫でてくれた。あすともうれしそうだった。
翌日18日は私の姉夫婦と父がきてくれた。赤ちゃんをみて「あすとに似ている」とか、「父親似」とか、「いや誰々だよ」と楽しく話していたらしい。
私とあすとは病室を訪れた後二人で科学館に遊びに行き、3人に会うことはできなかった。
夕方病院に戻って、今日は窓越しに赤ちゃんを眺めてから帰った。今日も赤ちゃんは眠ってばかりだった。
「寝顔もいいけど早く目を開けてくれないかなぁ」と考えていた。

19日、誕生から5日目、これまでの幸せな気持ちを崩壊させる最初に日となった。
いつもように私はあすとを連れて病院に行った。病室に入ると○子が泣いている。何かいいようない胸騒ぎを感じながら話しを聞いてみた。
すると小児科の先生に赤ちゃんは心臓の音に雑音があると言われたとのこと。「重大な病気だったらどうしよう」と涙を流している。
私も動揺して答えに困ったが「とにかく診てもらうしかない、たいした事じゃないのかもしれないよ」言うのが精一杯だった。 いずれにしてもまずは心臓の専門医に診断してもらうしかないのである。
赤ちゃんをとりあえず見ることはできた。しかし本当なら今日から病室だったはずが、またしてもガラス越しでの面会になってしまった。
とにかく不安でしかなかった。こちらも胸が苦しくなってきた。「心臓ってことはひょっとしたら命に関わるのでは」「この先どうなるのだろうか」と同じようなことが頭の中をただ行き交うばかりである。
そんな親の気持ちも知らずに赤ちゃんは静かにすやすやと眠っている。そんな姿に「きっと大丈夫だ」と自分に言い聞かせるしかなかった。
家に戻ってもこんな状態ではとても両親には話せない、診断が出るまでは自分ひとりで不安を抱え込むしかなかった。

20日、今日の夕方専門医の検査とのこと。
その結果は明日の午後に聞きにいくこととなった。
この日病院に行ってみると赤ちゃんは小児病棟へ移されてしまっていた。つまりこれからは小児科へ入院ということだ。
○子も看護婦さんたちから勇気づけられて元気そうにしていたが、不安な気持ちは隠しようもなかった。
「当たり前だ。最もつらいのは母親に決まっている。しかも病院の病室で一人きりで。私は家に戻ればあすとがいる。気を紛らせてくれる」
それを思うと自分が一番しっかりしなければならないのだが。
会社に戻り心雑音についてインターネット等で調べてみた。調べるほど難しい病名のものばかりが出てくる。しかも場所が場所だけにどれも深刻そうなものばかりだ。しかしこれらの病気がどれくらい命に影響するのか、どんな生活になるのかまではわからなかった。
こんな病気の情報だけをみていると不安が増えるばかりであった。
そんな中に1つ都合のいい記事を見つけた。子供の心雑音は無害なものも多く、必ずしも病気があるわけではないことも多いとのこと。
私は不安から逃げるためにこの情報を信じ、無理やり「私達のこどもはこの無害性心雑音に決まっている」と思い込むのであった。

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