先天性心疾患(心内膜床欠損)に立ち向かった小さな命

誕生するまで由宇斗、誕生心臓病発覚、最初の入院思いがけない言葉退院後の幸せな生活
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−とうちゃんが綴った−由宇斗物語
第2章 幸せを運んでくれた45日間

心臓病発覚、最初の入院

21日、ついに運命の診断を聞く日となった。
病院に行く前に役場に出生届を出しにいった。ここで「由宇斗」という名前が正式に決まったのである。
普通なら喜びに満ちての提出も、今回は入院に伴って保険等手続き上せかされる形であり、とてもうれしい気持ちにはなれなかった。
午後病院に到着し○子と二人小児科の医師の話しを聞きにいった。
小児病棟へ上がり、ナースステーションの中を通って奥の部屋へと入っていった。
そこで信じられないような言葉を聞かされた。
「いろいろと検査をした結果、お子さんは先天性の心臓疾患のようです」
『心臓疾患』この言葉だけで私を奈落の底へ突き落とすには十分だった。
医師は続けた。
右心房と左心房を分ける壁に穴があり、血液が左から右に流れている。また右心室と左心室の間にも穴があり同様なことが起きていることを。
病名は「心房中膈欠損」「心室中膈欠損」であり総称して「心内膜床欠損」とのことだった。
さらに説明は続く。
上下の心室と心房の流れをコントロールするための弁もうまく働いておらず、ここでも血液の逆流が起きていることと。
私の頭の中はほとんどパニックだった。昨日心臓病についていろいろと勉強したので病名も状態も何となくわかる。
説明の内容ではない、「なぜそんなことを言われるのか?」という思いだった。
私の心は説明を受け入れることを拒み続けた。「私達のこどもは病気なんかじゃない」と。
「もういい、それ以上言うな。やめろ、やめてくれー」と殴り倒して、その口を塞ぎたいくらいだった。
いいようのない悲しみがこみ上げてくる、涙をこらえるのが精一杯である。
「この先はできれば1年程、少しでも体が大きくなるのを待って手術するしかない」とのことだった。
いずれにしても手術はこの病院ではできないとのことで、手術を受ける病院を決めなければならないのがまずすべきことだ。
説明の後、○子と二人呆然として部屋を出た。
そしてガラス越しに由宇斗を見た。今日も静かに寝ている。
「こんなすこやかに眠っているのに、その胸の中ではそんな苦しい思いをしているとは・・・」
止めようのない涙が溢れてきた。
「何で由宇斗がそんな病気に」「何で健康な体にさせてやれなかったのか」と思うと、親として辛くてどうしようもなかった。
二人して手を握りながら、ただ涙するしかなかった。
○子はつぶやいた。「この先由宇斗はずーと病院なのかなぁ、おうちや公園なんかに行けないのかぁ、外の風景は見えないのかなぁ、おかあさんと離れていて寂しくないのかなぁ」って。
こんなときもっと辛いのは○子なのに、私は由宇斗を見ながらただ涙を流し、○子の話にただうなずくだけであった。
自分でも情けないと思ったが、どうすることもできなかった。
○子の病室に戻って二人で話をした。ちょっとは落ち着いてきた。
今すぐ死ぬ訳ではない、手術をすればよくなるかもしれないんだ、という前向きな気持ちにお互いなろうとした。
そんな中、○子が言った。
「大丈夫だよ、由宇斗は運があるもの」
「運?」
「これまで危ない状況も乗り越えてきて今があるもの。生きる運があるんだよ。2月の胎盤剥離も乗り越えたし、今回も自分の心臓が弱いから自分で逆子になって帝王切開にさせたんだよ」
なるほど、確かにそうだ。そうでなければこれまでにだめだったかもしれない。「由宇斗には生きる意義があるに違いない」と自分に言いきかせた。
そして私は幸せな将来の姿を頭の中に描いてみた。
これから20年後、由宇斗は立派な青年となっている。
私に似てスポーツが好きでいろんなものにチャレンジしている。そんな由宇斗に私が話しかける。
「ほんとに元気だなぁ。生まれたときは重い心臓病でもうダメかと思ったくらいなのに」
「そんなこと覚えていないよ。おやじはいつも同じことばかり言っているな」と由宇斗が笑って応えてくれる。
そうだ、こうなるに決まっている。
私は祈るように何度も何度も自分の想像した場面を頭の中で巻き戻し再生するのだった。
さすがにこの日は会社に戻って仕事ができる気分ではないので、そのまま家に帰った。
家ではあすとがいつも通り明るく迎えてくれる。やはり辛いときは家族の笑顔が一番である。
ふと○子のことを思い出す。「そうだ一番辛い○子にもこれがないと」と思い、夕食後あすとを病院に連れていった。
○子は心から喜び、あすとも思いがけないおかあさんとの面会に満面の笑みであった。

翌22日、23日も病院に由宇斗の顔を見に行った。
○子は授乳のため、さわったり抱っこしたりできるが、私はいつもガラス越しの寝顔だけ。
こんなとき父親はさみしいものである。
一日のうちほんの数十分だけだが、由宇斗の顔を見ていると悲しくなる反面なんとなく落ち着くのも事実だった。
由宇斗の安らかな寝顔は私に「心配しないで」と語りかけているようであった。
○子の方は手術後は順調であり、24日が退院となった。でも由宇斗を一人病院に残すのは胸が痛かった。
23日からは由宇斗は生まれた時に入れられていた保育器のようなものにまた入っていた。
それを見た瞬間、病気が悪くなったのでは?と思ったが、○子に聞くと「この部屋の温度が低いので体を温めるためにだよ」だって。
ほんのちょっとのことにも神経質になってしまうのであった。

24日、○子の退院の準備は完了し、○子が由宇斗への授乳をしてから病院を出ることとした。
いつものように小児病棟の乳児室前の面会場所で待っていると、その横の授乳室から○子が顔を出し、私もそこへ一緒に入ってもいいと伝えてきた。
「やったー、一週間ぶりに由宇斗にさわれる。由宇斗を抱ける」と喜んで入っていった。
由宇斗はまだ寝ていた。いつもなかなか起きてくれないようである。
○子が体のいろんなところをくすぐってやっと目を覚ました。といっても薄目で泣き出すだけである。
でも私にとっては十分だ。どんな表情でもそれは生きている証、いとおしくて仕方がない。
○子の母乳が終わったあと、私がミルクをあげることに。私から由宇斗への初めてのミルクだ。
すでに疲れているのかなかなか飲んでくれない。呼吸も苦しそうである。
「由宇斗、早く大きくなるためにもしっかり飲むんだ」と心の中で言い続ける。
でもやっぱり由宇斗は寝てしまった。呼吸はまだ荒い、「この子は普通にミルクを飲むのもとても大変なことなんだろう」とまた心が痛む。
しかしミルクを飲んだ後の幸せそうな顔をみると病気のことも忘れ、心が和むのであった。
そして小さな手を握りしめて由宇斗と別れた。
当初、退院後は由宇斗とあすとを連れて○子の実家に行く予定だったが、毎日由宇斗の授乳に行く必要があるので、清洲の家に戻ろうと考えていた。しかし○子の産後の体調を考えて、病院に近い私の実家に戻ることとなった。
家に戻るとあすとがおかあさんの姿に大喜びであった。
そんな姿をみていると、「あすとにも寂しい思いをさせているからなぁ」と申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

25日はあすとと一緒に授乳室に入った。
久しぶりに由宇斗を見るあすともうれしそうだった。
「そういえばあすとは弟ができることをすごく楽しみにしていたなあ」と思い出し、生まれる前にあすとが言っていた「僕が赤ちゃんを守るんだ」という言葉が頭に響いてくる。
でもこの先1週間に1回しか会わせることができないと考えると、あすとにも由宇斗にも申し訳なかった。
そんなことを考えているのも知らず、由宇斗はいつもとかわらずミルクを飲んだあとの満足そうな寝顔だった。

26日、この日は○子の出産関連の事情ということで会社を休んだ。
そして今日は二人で授乳のために病院に行った。今日はゆっくりと由宇斗と過ごせるかなと思っていたら、授乳室にはすでに別の人が入っており、結局私はその人の授乳が終わるまではそとで待っていることになった。
当然由宇斗も授乳中のため、いつものガラス越しの面会もできない。
この日は折角の休みにもかかわらず数十分一緒にいられるだけだった。それでもほんのちょっとでも由宇斗に触れるだけで幸せになれるから不思議だ。

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