先天性心疾患(心内膜床欠損)に立ち向かった小さな命

誕生するまで由宇斗、誕生心臓病発覚、最初の入院思いがけない言葉退院後の幸せな生活
初めての自宅再入院明日への希望最後のがんばり旅立ちその後◆ゆうと−ぴあ トップへ

−とうちゃんが綴った−由宇斗物語
第2章 幸せを運んでくれた45日間

退院後の幸せな生活

3日、いよいよ退院である。退院と同時に記念のうんこをし、そしてミルクを飲んで車に乗り込んだ。
初めての車に目をキョロキョロさせていた。ベビーシートも初めてである、なんか苦しそうに足を動かしていた。
ここから八事までは1時間弱、最初はおとなしかった由宇斗も途中から泣き出してしまった。
しかし着くまではどうしようもない。○子があやすだけである。
数分泣いたであろうか、次第に泣き止んで段々と眠りに入ってきた。
やはり苦しくて長い間泣き続けることもできないのである。
そんな姿をみると、こちらの方が辛くなるのであった。
渋滞した駐車場を15分程待ってやっと病院に入ることができた。しかしその後手続きや診察待ちでさらに2時間近く待つことになった。
待つ間に次第に不安が大きくなってくる。専門の方からはどんな話しになるのだろうかと。
やっと診察となった。名鉄病院からの書類等に目を通し胸部のエコーを始めた。
裸になって診察を受ける由宇斗の体を見ると、やはりいかにも呼吸が苦しそうに見える。
普段は服を着ているのでわからないが、「本当は辛いのだろうな」と私も胸が苦しくなった。
モニターには心臓の様子が写しだされるが、無論私達ではわかるはずもない。十数枚撮影したであろうか、そこでひとまず診察は終わった。
そこから説明が始まった。
病名はやはり「心内膜床欠損」であるが「完全」という言葉がつくものとのこと。
心房や心室の間に単に穴が空いているというより、その間の膜自体がほとんどないような状態。そしてその膜が形成されていないために上下の弁もうまく形成されていないとのことだった。
またこの疾患での程度で表現するなら4ランク中3番目、つまり一番悪い状態の1つ前というわけだ。
結果的には前回と同様な診断結果だが、より詳細な説明に状況としてはよくないのかもしれないという気分になってくる。
今後としては、しばらく通院とのことでちょっとほっとした。
しかし手術は1回ではなく、ここ数ヶ月以内にまず肺動脈を狭める手術を行い、その先1〜2年後に心臓自体を治す手術をすることになるとのことだった。
当初手術は1回と考えていたので、ちょっと困惑したが最善の方向でやってもらうしかないので、とにかくその説明を聞いた。
次の診察は12日15時と決め、そのまま病院に近い○子の実家に戻った。
今日からはここでの生活となる。あすとも明日からちょっと早い夏休みとして保育園を休ませてここでの生活とした。
保育園に行きたくないあすとは大喜びである。これで万事がうまくおさまるわけだ。私がまた一人家で過ごすことを除けば・・。
この日はあすとを保育園に迎えにいき、夜は初めて家族4人が揃うこととなった。
あすとも由宇斗が家にいることに大喜びでミルクや抱っこなどいろんなことをやろうとしてくれる。
気持ちはうれしいのだが4歳児ではまだ無理だ。するとあすとは由宇斗の頭をよく撫でてくれた。
この日は一緒にいる時間が長いせいか、よく目を開けていた。
いつもほとんど寝顔ばかりなので、ついつい見つめてしまう。
「なんてかわいいのだろう」親ばかだと思いながらも、そう思わずにはいられなかった。
同時に「こんなにかわいいのだから長生きに決まっている」と。もうほとんど滅茶苦茶の理論で思い込んでいた。
夜の9時過ぎに初めて家族4人並んで寝た。「当たり前のことがこんなにうれしいなんて」と感じながら。

4日、私は朝より仕事である。ちょうど7時前くらいに由宇斗のミルクをせがむ泣き声で起こされた。
○子によると由宇斗にとっての家での初めての夜は下痢ぎみだったようである。
「夜中にオムツを替えるときに、うんこをかけられた」と言っていた。
私は由宇斗が大きくなったら「初めて家で寝たときにかあちゃんいうんこをかけたんだぞ」とおもしろく話してやろうと考えていた。
そのとき由宇斗はなんて言うかな?想像すると楽しかった。
朝食を食べて出かける前に由宇斗を抱いた。
「ミルクもいっぱい飲んで、元気にしてるんだぞ」と目で訴えようとしたが、由宇斗はいつものように夢の中だった。
これから夏休みになるまでの3〜4日は会えない。そう思うとやはり寂しくて仕方なかった。
この日仕事を終えて久しぶりに自分の家に戻った。もう3週間もここには誰もいなかった、家族の生活感が感じられずより一層寂しさを誘う。残っていたのは異常なほど猛暑で暖められた空気だった。
この間はメールで○子に様子を聞いた。無事に生活できており由宇斗も大丈夫そうとのことだった。
その由宇斗が元気にしているという言葉だけが、このときの私には一番うれしかった。

6日、夏休み前の最後の日、私は1日でも、1時間でも早く家族に会いたくて、仕事を早急に切り上げ○子の実家へと向かった。
結局たったの2日会ってないだけなのに、いてもたってもいられなかった。
8時前には着いた。由宇斗は起きていた。今日も大きな目を開けてくれている。
「ひょっとしてとうちゃんを待っててくれたのかなぁ」とうれしくなってくる。
○子から私がいなかった間の話を聞いた。
「おじいちゃんに足ととんとんしてもらうと気持ちよさそうに寝ちゃうんだ」って。
「そうかおじいちゃんともそんなに仲良しになったのか、とうちゃんとももっと仲良くなろうよ」と私は内心やきもちを焼くのであった。

7日、今日から1週間はずーと家族と一緒である。今から思えば私の人生の中で最も幸せなときだったのかもしれない。
朝はいつも私がミルクをあげた。相変わらず30〜40mlで飲まなくなってしまう。
「がんばって飲むんだ」言うのだが、やはりそのまま寝てしまう。
しばらく待つが起きないなので仕方なく布団に置くと、必ずすぐに起きてしまう。そしてそのうちぐずりだす。
私がまた抱きかかえると、すぐに泣くのはやめて由宇斗は私の顔をじっと見つめている。
「とうちゃんの顔が見たかったのかな」と思い妙にうれしくなってくる。
でもやっぱりしばらくすると眠りに入ってしまうのだった。
○子が「きっとパパの抱っこが気持ちいいんだよ」と笑っている。
「そうか、そんなに気持ちいいならとうちゃんがいるときはいつでも抱いてやるよ」と由宇斗にささやいた。
それから午後まではあすとと遊びにいく。折角の夏休みなので、あすとにも楽しい思いをさせなければならい。
この日近所の市民プールに連れていった。あすとはとても気に入ったようで、それから毎日のようにここに行くこととなった。
午後から昼寝をして家で過ごすため、由宇斗の近くにいることができた。
寝ていることが多いのだが、ちょくちょく目を開けてくれるので、つんつんとさわりながらいろいろと話しかけた。
夜もミルクを上げたり寝かせるために抱っこしたりと、あわただしく過ぎていく。
世間では全くの普通の日常事かもしれないが、私にとっては本当に充実した楽しいひとときだった。
先には不安なこともいろいろあるが、そんなことも忘れて由宇斗のほんのちょっとの動きしぐさにやすらぎと幸せを感じるのであった。
こんなように夏休みは楽しい生活が続いていくのだった。

そんな幸せな日々のあと12日、再び診察の日がやってきた。
今日も灼熱の太陽が照りつける中、病院へと向かった。
病院で体重を計った。約3500gだった。
そして前回と同じように内科的な検査を行った。そしてこんなことを言われた。
「早めに1回目の手術をしてはどうか、体重も10日で100gとあまり増えていないし」
続いて、「来週心臓カテーテルの検査を行い、再来週手術での日程は押さえてあります」とのことだった。
はっきりいって予定外の言葉に戸惑った。前回の話しで自分では最初の手術はてっきり2〜3ヶ月後だろうと思い込んでいた。
「手術を早めなければならないということは、容体が悪くなったのでは?」と不安にもなった。
しかしこのままなかなか成長しないのであれば、当然心臓の根治手術もできなくなってしまう。また成長しないこと自体が、由宇斗の現在の体調はよくはないということ物語っているのではないかと思えてくる。
生まれて1ヶ月でほんとうに大丈夫なのだろうか?とも思ったが「リスクはないことはないが、もっと小さな赤ちゃんでも問題なく行っている」との言葉に自分自身を納得させるしかなかった。
そして最終的には「由宇斗の体を治すためには、今これが必要なのだ」と思いで手術を受けさせることにした。
これで来週19日入院、20日心臓カテ検査、26日肺動脈バンディング手術となった。
19日入院ということは、夏休みが終わってから3日しかない。
それならこのまま病院に近い妻の実家にいた方がいいのではとも思った。その方が由宇斗や○子のためかなと思ったが、あすとの保育園があるのと、何よりも私自身が由宇斗と一緒にいたかった。
そのためこのことを○子に話し、15日にいったん家に帰ることにした。

13日、私は散髪に行き、約5年間続けてきた長い髪を切った。
それは、由宇斗の手術後に備えて私の体に雑菌が付着するところ減らす、また入院中の由宇斗の面倒を見るのに自分のことをする時間を減らすために。
加えて、ここのところのよくない流れをさっぱりと断ち切りたいとの思いも込めて。

翌14日は私の実家に親戚が集まるとのことで、私とあすとだけで行った。
由宇斗にはあまり負担をかけさせたくないので、○子とそのまま実家にいてもらった。
年に何回も会えない人もいるので、かわいい由宇斗の顔をみせてやりたかったが、できないのが残念だった。
途中で私一度実家から自分の家に戻り、明日の家族での帰宅に備えて部屋の掃除を行った。
私達の住むところは、マンションの最上階の部屋であるため夏はサウナのように暑くなる。
掃除をしながら、「暑いところでも大丈夫だろうか?それでなくても心臓病のせいで汗かきなのに」とちょっとしたことでも心配ばかりしていた。

次へ


誕生するまで由宇斗、誕生心臓病発覚、最初の入院思いがけない言葉退院後の幸せな生活
初めての自宅再入院明日への希望最後のがんばり旅立ちその後◆ゆうと−ぴあ トップへ

Copyright (c) 2004 ゆうとっぴ All Rights Reserved.