先天性心疾患(心内膜床欠損)に立ち向かった小さな命

誕生するまで由宇斗、誕生心臓病発覚、最初の入院思いがけない言葉退院後の幸せな生活
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−とうちゃんが綴った−由宇斗物語
第1章 誕生するまで

いよいよ空気も冷たくなり、季節はいよいよ冬を迎えようとしていた。そんなある日の夕方、ケータイに妻・○子からメールが入った。
「妊娠検査薬で陽性だったよ」と。
私は心の中で叫んだ「やったー」と。すぐに返信を打ったが、ほんとうは家に戻りたいくらいだった。
2003年11月27日、これが由宇斗の存在を実感し、幸福感に満たされた最初の日だった。

私達にとって二人目の子供ができたのである。
長男あすとが生まれてから3年以上が経ち、忙しい生活と40歳も越えた年齢より、もう子どもはできないかもしれないと思っていただけにその喜びは大きなものだった。
その後、病院での検査でも妊娠と言われ、まさに有頂天であった。
一つ気がかりは、○子のつわりだった。あすとの時は何ヶ月が何もできない状態だったので、「今度もそうなるのでは?」と、そうなった場合に今回はあすとがいるのでどうしょうかと思っていた。

12月に入るとやはり予想していたようにつわりがひどくなってきた。普通に生活するだけでも大変なのに、やんちゃ盛りのあすとのお守りなど○子一人で到底できるわけもなく、今回も実家に帰ることになった。
いつも家族3人でにぎやかにしていただけに、急に一人になると寂しかったが、このほうが○子・あすと・やがて生まれてくる赤ちゃんにいいのだと自分に言い聞かせていた。
会社の仕事も秋から信じられないくらい忙しく、家でのんびりする暇もない状態だった。そのため寂しい思いをする時間もなくよかったのかもしれない。

やがて年末となり待望の正月休みがやってきた。「これで○子・あすとにも毎日会える」と喜んだ。
今年の冬休みは○子が妊娠しているためどこかに旅行などというわけにもいかない、そのため私が○子の実家に行って過ごすことにした。
○子は相変わらず辛そうな様子だった。
あすとはやっぱり元気だった。クリスマスでおじいちゃんやおばあちゃんから買ってもらった仮面ライダーの変身ベルトが本当に嬉しかったようで、いつもそれで遊んでいた。ちょっと前までは何でも車や電車にしてしまうくらい好きだったのに。それが仮面ライダーのベルトで戦う遊びに変わっていた。これも1つの成長かと、相手をするのは大変だと思いながらも内心喜んでいた。
そんな戦いごっこの中であすとに聞いてみた。
「もうすぐあすとの弟か妹になる赤ちゃんが生まれてくるんだよ。もしとうちゃんに何かあったらかあちゃんと赤ちゃんをそんなふうに戦って守ってくれるかな?」と。
するとあすとは「僕が守ってあげる」と強く言ってくれた。
このことをあすとがどう感じたかはわからないが、その後もいろんなところで、いろんな人に「僕が赤ちゃんを守るんだ」といい続けていた。
○子とは赤ちゃんのことについて何度か同じような話をした。
「こんどはどっちがいい?」○子が尋ねる。
答えに迷って「自分ならどっちがいい?」と私が聞き返す。
「そうねぇ、女の子の方がいいかな〜?」
「ぼくはやっぱりどっちでもいいかな」と答えていた。
心の中では一人目が男だったので、次は女の子と方がいいかなとは思っていた。しかし男二人の兄弟だと一緒にいろんな遊びもできるし、大きくなったらとうちゃんといろんなスポーツもできそうだし、とも思った。でも女の子のかわい表情ややさしく話をしてくれることにも憧れた。ただもし女の子だと男親としては男の子以上に溺愛してしまうことで、あすとに寂しい思いをさせるのではとも考え、やっぱり男の子の方がいいのでは、などなどといろんなことが頭の中を巡っていた。
いずれにしても最後はお互いに「健康で元気だったら、どっちでもいいよね」ということになるのだった。

正月休みが終わっても○子のつわりはかわらず、私一人で家に戻ることになった。
相変わらず仕事は忙しく、またも時間のない生活に寂しさを紛らせてもらった。
そんな中、2月の初めに二人はやっと家に戻ってきた。これでやっといつもの楽しい生活に戻れると思っていた。
○子の病院での検査の様子を聞いた。
赤ちゃんはまだ数センチのようだ。こんなに小さくても母親にこれだけのつわりを起こさせるとは、ほんとうに大したやつだと、なぜか私は感心していた。
あすととのときよりも今回のつわりが長い気がする。今から思えば、このころから甘えん坊で母親にいつでも気にしてもらいたがっていたのかもしれない。
それからしばらくは落ち着いた日々が過ぎていた。

2月24日、会社で突然ケータイにの家からの電話が入った。
「お腹が痛くてすぐに病院に行かなければならない」と辛そうな不安そうな声の○子からだった。
事態はよくわからないが、普通でないことは確かだ。私はすぐに会社を出て家に戻り、着替え等をもって病院に車を飛ばした。
今回の病院は名駅裏にある産婦人科病院である。
医師の話によると胎盤剥離の疑いがあるため、数日入院が必要とのことだった。
とりあえず流産ではないようなので、ひとまずはほっとした。赤ちゃんもがんばってくれたのだろう。
実際にはここでの入院は3月1日までと1週間以上となった。
この病院の新館は病室も広く面会の規制も少ない、また目の前に幼児用のプレイルームがあるなど総合病院にないメリットもあるのだが、○子としてはこの入院を通して何か不安を覚えたようだ。
その後最終的に出産は総合病院である名鉄病院にするか迷っていた。
4月頃だっただろうか、ケータイにどちらの病院がいいか?との質問のメールがきた。
これも結構答えるのに難しい質問だった。産婦人科専門病院なら出産立会いが可能とのメリットがある。しかし病院自体に不安があるならそちらの方を優先させて考えてはどうだろうかと返した。
やっぱり母体と赤ちゃんの安全が最優先である。結局名鉄病院で産むことに決めたのであった。
この入院と出産病院を変更したということが後で大きな意味を持つことになるのであった。

3月、退院後しばらくして○子は今度全身に発疹ができたため、またもあすとと実家に戻った。
風邪と疲れのようなので1週間程で戻ってきた。
それにしても今回の妊娠ではいろんなことが起きている。「これまでなかなか家族で過ごせていない。頼むから普通の生活に戻ってくれ」と願ったら、このさき出産までは○子も赤ちゃんも順調にいってくれた。

赤ちゃんの性別がわかったのは確か5月の検診の時だった。
なんとなく今回も男だと感じていた。別に理由はないのだが、何かそう感じるものがあった。
○子に「男の子だった」と言われたとき、「やっぱり」と思った。複雑な心境だった。嬉しいようでもあり残念なようでもあり、やはり心のどこかで女の子を求めていたのかもしれない。
でもその後、別の思いで楽しくなった。
この子はあすとの後を追って成長するから、きっとわんぱくでたくましく育ってくれるに違いない。
まだ小さいのに高い山でも必死にあすとの後をついていくだろう。そんな姿が頭の中で鮮明に映し出された。
こんなことを考えると生まれる日が待ち遠しかった。

6月の検診でも順調に育っていた。ただ1つ問題は逆子になっているとのことだった。
医師からは来週までに戻らなければ、帝王切開になると言われたようだ。
できれば普通分娩がいいに決まっている。○子は逆子を戻す体操なるものをやっていたが、この段階では赤ちゃんも大きくなっているため難しいのも事実だった。
6月30日の検診の結果やはり逆子は戻らず、帝王切開による出産となった。
手術日は14日、つまり誕生日は7月14日となり、あすとが7月7日だったからその1週間後である。
私は「きっと仲のいい兄弟になるに違いない」と考えていた。
13日に入院しそこで手術についての話を聞いた。
○子は緊張しているようだった。やはりどんな手術でも受ける人には大変なんだろう。
翌日はあすとの保育園を休ませて、手術の立会いに行った。
あすとにも弟の誕生の直後を見せてやりたかった。
手術は午後からであり、午前中にあすとと二人で病室に入った。○子はすでに手術室へ向かうだけの状態であった。
確かに不安そうであり、あすとと二人で励ました。子供の力は偉大であすとがいることだけでも○子は元気になったように見えた。
午後1時前、○子の両親にも見送られていよいよ手術室に入っていった。

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