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7/21〜8/2

しかし21日私の前向きな気持ちを挫かせる出来事が起こった。
看護婦さんが来てこう告げた。「検査の結果、やはり心臓に異常がありますので、処置をするため小児科に変わっていただきます。」
やはり異常があるのだ。看護婦さんと一緒に赤ちゃんを連れて小児科に入院の手続きをしに行った。赤ちゃんは新生児用の特別な部屋に連れて行かれた。ここでは赤ちゃんの世話は看護婦さんが全て行い、親はガラス越しに面会できるだけである。私は好きなときに赤ちゃんに会って抱くことすら許されないのだ。母親なのに。なんて悲しいことだろう。あまりの悲しさに私はナースステーションの前で泣きじゃくってしまった。
ただ救いとなったのは、午後の面会時間に母乳をあげてもいいということだった。
私は1人部屋に戻った。部屋では1人ぼっちである。他の部屋からは赤ちゃんの鳴き声が聞こえてくる。あすとの時は、今日にはあすとを抱いて退院していた。家では泣き止まないあすとを、病気ではないだろうか、と心配しておろおろしていた。マタニティブルーで訳もなくほろほろ泣いていた。あすとはあまり寝てくれない子で私は寝不足でへとへとだった。そんな全てのことが今では奇跡のように思えてくる。当たり前のことが当たり前にできるのはなんて幸せなことだったのだろう。あすとが健康で元気であることに改めて心から感謝した。
面会時間の1時になって、私は小児科にとんでいった。
1日ぶりに赤ちゃんを抱けるのだ。看護婦さんが赤ちゃんを連れてきてくれた。相変わらずよく寝ている。私はまだこの子の目が開いているのを見たことが無い。
看護婦さんが赤ちゃんを起こすため、足の裏を刺激したりする。ふみーと泣いたところに乳首を入れ込む。しかし、なかなかうまく吸い付いてくれない。おちょぼぐちなので、うまく入らないのだ。入っても舌が上に向いていて押し出されてしまう。やっと吸い付いたと思ったら眠りに入り口を離してしまう。結局30分ほど格闘していただろうか。体重を計ってみると、10gも増えていない。この日はこれで母乳をあきらめ、ミルクをあげることにした。
2時に小児科の先生から詳しい話があるため、この日はミルクを看護婦さんに頼み部屋に戻った。まだ○明さんは到着していなかった。メールを見ると、出生届をだすため少し遅れるとのこと。この時点で、赤ちゃんは正式に由宇斗と命名したのだ。
○明さんが到着し、2人で小児科に向かった。私達は面談室に通された。小児科の先生が入ってきた。先生は詳しく絵に書いて由宇斗の心臓の様子を話してくれた。詳しいことはよくわからなかった。理解できたのは、由宇斗の心臓に穴があいている事。そのため心臓の役目がなされていないこと。手術しなければならないこと。それまでは入院していなければならないことだった。私は声も出せずただ泣いているだけだった。隣では○明さんの手が震えている。きっと泣くのをこらえているのだろう。○明さんは搾り出すような声で先生に尋ねた。「手術すれば治るんですか?」
先生は答えに困っている様子だったけれど「普通の子のように走れるようになった例もあります。」と応えた。由宇斗も同じようになるとは言わなかった。
しかし専門医ではないこの先生は、こう応えるのが精一杯だったのだろう。
私達は絶望的な気持ちで部屋を出た。2人でガラス越しに由宇斗を見に行った。
由宇斗は相変わらずやすらかに眠っている。でもこの小さな体の中では大変なことが起きているのだ。私はまた涙が出てきた。そして○明さんもとうとうこらえられなかったのだろう。由宇斗を前に泣き出した。2人の悲しい気持ちがガラス越しに由宇斗に伝わったのだろうか?それまで見たことの無いほどの大声で泣き出した。初めて見る由宇斗の泣き顔である。○明さんは初めての泣き顔にちょっと嬉しそうである。でも私には辛いものだった。母親なのに、我が子が泣いているのを前にして、ただ眺めているだけしか出来ないのだ、抱いてやることも出来ない。大丈夫だよ、と安心させてあげるために手を握ることも出来ない。なんて私は無力なのだろう。なんて情けない母親だろう。私はあまりの運命の残酷さに声をあげて泣き始めた。これ以上由宇斗が泣いているのをみていることはできない。私達は泣いている由宇斗を置き去りにして部屋に戻った。私達は抱き合って泣いた。
どれだけ泣いただろう、どれだけ涙を流しただろう。涙がかれてきた頃、ぽつぽつと私達は思っていることを話し始めた。
昨日いぐちゃんに励まされた言葉を、○明さんにも話してあげた。
私達は話すことによって、少しずつ光りある希望を見出そうとした。
死ぬわけではないのだ。手術すれば治るのだ。一緒に居れないのは1年だけだ。治れば一緒に暮らせるのだ。由宇斗は普通の子のように元気になるのだ。治ったらいろんなところに連れて行ってあげよう。一緒にいれなかった分いっぱい抱きしめてあげよう。
私達はだんだん前向きな気持ちになれるようになった。
そうして、○明さんは最後には笑顔を見せて帰っていった。
1人になると、またいろいろ考えてしまう。
病気は治る。そう信じることはできたが、1年間母親と離れて暮らすと、由宇斗の精神の発達はどうなってしまうのだろう。私を母親と認識できるのだろうか?本来なら無条件に愛され世話をしてもらえる1年間だ。病院では満足に相手もしてもらえないだろう。泣いてもほったらかしになるだろう。そんな生活をして由宇斗は大丈夫なのだろうか?1年後に私たちは本当に家族になれるのだろうか?あすとは由宇斗を家族として受け入れてくれるのだろうか?不安がこみあげてくる。
この日の夜、○明さんがあすとを連れてきてくれた。思いがけないことだった。
どんなにあすとの笑顔が、私の心を晴らしてくれただろう。
あすとの笑顔が、○明さんのやさしさが、私には本当にうれしかった。私はこのとき嬉しさのあまり涙が出てきた。やさしいあすとは私の涙をふいてくれた。
こんな素敵なお兄ちゃんとお父さんがいるんだ。きっと大丈夫だ。
この家族とならどんな障害も乗り越えていける。由宇斗はきっと幸せになれる。そう信じることができた。

翌日22日、面会時間になるとすぐに由宇斗のところにとんでいった。
由宇斗は保育器の中に入れられていた。症状が悪くなったのだろうか、と一瞬心配するが、体を暖めるためだそうだ。安心したが、保育器に入っているため、授乳ができない。私は悲しい気持ちでガラス越しに由宇斗を眺めていた。1時間ぐらい新生児室の前にいただろうか。小児科の先生がやってきた。「部屋に入らないんですか?」と尋ねるので、「保育器に入っているから授乳は出来ないって聞きましたけど。」私は答えた。どうも先生と看護婦の間で伝達がうまくいってなかったらしい。実際は保育器から出しても異常がおこるわけではないので、授乳しても構わないらしい。
私は喜びで一杯になりながら、いそいそと授乳室に入った。
服を着せられて由宇斗が入ってくる。でもまた寝ている。授乳時間はとっくに過ぎているのに。グラフを見ると保育器に入ってからミルクの飲みがいい。いいことだ。少しでもたくさん飲んで体力をつけて欲しい。
寝ている由宇斗を起こそうと、頭をなでたり、ほっぺをつんつんする。でも起きない。仕方なく寝顔を飽きることなく眺める。手をつないだまま。由宇斗に触れることができるのは面会時間だけなのだ。時間一杯スキンシップをしてパワーをあげたい。
私は由宇斗の手を開いてみた。生命線は長い。大丈夫だ、この子は長生きする。
それにはっきりとした長い運命線もある。きっとこの子は大きな役目を背負っているのだろう。病気の試練を乗り越え強くなって、その役目をはたすのだろう。
大きな試練を乗り越えた後は、必ず大きな喜びが待っている。きっとこの子は幸せになれるはずだ。
待つこと30分ほどすると、由宇斗がふにふに目を開け始めた。いきなり、ふんっと力んで大きなおならをする。オムツを開けるとうんちをしていた。
うんちをして力んだせいか、目をしっかり覚ましたらしい。大きな目を開けている。
初めて見る由宇斗の目だ。なんてきれいなんだろう。
私はてっきり由宇斗は目が細いと思っていた。こんなに大きな目だったんだ。
嬉しくて仕方が無い。目覚めている由宇斗を見ていたかったが、泣き始めたので仕方なくおっぱいをあげる。今日はしっかり目覚めているせいか、授乳時間をとうに過ぎてお腹がへっているせいか、よく吸い付いてくれる。でも5分ぐらいすると目は閉じていってしまった。それでも寝ながら、くちゅくちゅ吸っている。しかしだんだん力がなくなっていくのがおっぱいを通して感じられる。
完全に寝てしまう前に体重を計ってみると、今日は20g増えていた。
やったー、今日は昨日よりも飲むのがうまくなっている。こうやって毎日がんばっていれば、きっと上手に飲めるようになる。私の乳もいっぱい出るようになるぞ、そう思った。
足りない分のミルクを看護婦さんが持ってきてくれたが、既に由宇斗は寝ている。なかなか起きない。それでも哺乳瓶を近づけてみると、少しづつではあるが、飲んでくれる。やはりおっぱいよりも哺乳瓶の方が楽なのだろう。全部飲んでくれた。
最後にげっぷをさせて抱っこで揺らしてあげた。
抱っこするまでもなく、既に気持ちよさそうに寝ている。でも可愛いいので疲れるまで抱っこしていた。
部屋に戻ると○明さんが来ていた。私は今日由宇斗が目を開けたことや、おっぱいをやっと飲んでくれたこと、いっぱい抱っこできたことを話した。
でも○明さんは寂しそうだ。そうだ、私は毎日授乳のために由宇斗に数時間だとしても会えるのだ、○明さんやあすとはガラス越しでしか会えないのだ。
どうにかしてあげたい。

23日、同じ小児科の新生児室に入っている赤ちゃんのお父さんが面会に来ていた。
このとき看護婦さんは、その赤ちゃんを別の個室に連れて行き、お父さんと直に面会できるようにしていた。
そうか、お父さんも直に会えるんだ。私は看護婦さんに聞いてみた。
すると、他の人が授乳していなければお父さんも授乳室に入ってもいい、とのこと。
やった、これで○明さんも由宇斗に会える。
明日は退院だ。午後から○明さんが来てくれる。そのとき一緒に由宇斗に会いに行こう。

翌24日、1時過ぎごろ○明さんは病院に到着した。
2人で小児科に向かう。このときはまだ他の人が授乳をしていた。
どうせ由宇斗はまだ寝ているのだ。2人でガラス越しに由宇斗を眺めながら、他の人の授乳が終わるのを待っていた。
2時過ぎ頃授乳が終わりました、と声を掛けられたので、2人で授乳室に入った。
あいかわらずまだ寝ている。この子は見るといつも寝ている。
それだけ目をさましていることが大変なのだろう。体力をつけるためには寝ることはいいことだが、数時間しか1日に面会を許されていないので寝てばかりも寂しい。
やはり30分程待つと、ふにふに泣き出した。今日は薄目しか開けない。
せっかくお父さんが来ているのだ。大きな目を開けて欲しい。
しかしこの日は残念ながら薄目だけだった。
でもいつもは見ることができない表情をたくさん見ることができ、○明さんは嬉しそうだ。
今日は早めにおっぱいをやめて、少しでも○明さんに長く抱かせてあげよう。
ミルクも○明さんにお願いした。よかった、○明さんは嬉しそうだ。
由宇斗、お母さんだけじゃなく、お父さんも覚えてね。お父さんもお母さんも心からあなたを応援してるのよ、心の中で由宇斗にささやいた。
授乳が終わり、部屋に戻って退院の準備をする。
由宇斗が一緒ではないのが本当に寂しい。でも寂しいのは今だけだ。
1年後には一緒に家に帰れる。

村瀬の実家に帰ると、あすとが待っていた。
今日からお母さんと一緒だと話すと本当にうれしそうだ。
寂しい思いをさせてしまった。たくさん、たくさん抱きしめてあげよう。

25日、日曜なのであすとを連れて、3人で由宇斗に会いに行った。
あすとは白衣を着るのをいやがり、せまい授乳室に入るのをこわがり、なかなか由宇斗のそばまで来てはくれない。心のどこかにやきもちが働いているせいなのだろうか。
なんとかあすとをひっぱって由宇斗に会わせてあげるが、すぐに外に出たがる。
仕方ないので由宇斗を新生児室に戻し、あすとの元に帰る。
残念ながらこの日、○明さんは少ししか由宇斗に会っていない。

26日、今日は授乳室に私以外に2人入っていた。そのため折角○明さんは会社を休んでくれたのだが、由宇斗に会えたのは数十分だけだった。しかもやっぱり寝ている。
なんだかわたしばかり申し訳なくなる。

27日、小児科の先生から思いがけない言葉を聞いた。
「順調なのでこのままいけば退院して通院でいいですよ。」
「本当ですか?」
私は喜びのあまり、大声を出していた。
いつも悲しい報告ばかりだったので、今日もまた新しい障害でも見つかった話かと思って緊張していただけに、この喜ばしい報告はどれだけ私達を幸せな気持ちにしてくれただろう。
本当に嬉しかった。一緒に暮らせるのだ。てっきり1年間離れ離れと思っていた。
家族がそろって一緒に暮らせるのがどれだけ幸せであるか、このとき実感した。

退院の日は8月3日に決まった。
それまでは今までどおり面会時間に由宇斗に会いに来て授乳をした。
私のおっぱいは相変わらず出が悪い。1日に1回しか吸ってもらえないのだ。無理も無い。
退院したら一杯すってもらうぞ、と思っていた。
ただ心配なのは私の面会時間中おっぱいだけではなく、ミルクの飲みも良くないことだ。
やはり苦しいのだろうか。
しかしグラフを見ると、看護婦さんが授乳するときは順調に飲んでいる。
たまに少量しか飲んでいないときもあるが、体重は順調に増えている。
このままどうぞ順調にいきますように、予定通り退院できますように、私は毎日祈りつづけた。

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