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7/14〜20

7月14日13時41分由宇斗が誕生した。
大きな産声をあげた五体満足の赤ちゃんだった。
私は正直今度の子は、何らかの障害をもって生まれてくるという予感があった。
予感というより不安だったのかもしれない。
妊娠中に自閉症の子を持つ親の本を読んだ影響か、それとも今度の妊娠中はトラブルばかり起こり、ほとんど薬を飲みつづけていたからか。それに年齢も年齢である。
羊水検査を断ったため、異常があるかどうかわからないせいもある。
いずれにせよ、どんな障害をもっていても私はこの子を産み、運命を受け入れ育てようと考えていた。
この子は思いがけずお腹の中に宿った子だ。神様が私達に与えてくれた最高の贈り物だ。この子は私達を親として選んで生まれてくれるのだ。この子はこの親ならどんな運命でも受け入れてくれると期待しているのだ。ならばこたえなきゃいけない、そう考えていた。

子供の誕生は感動的なものであるけれど、正直由宇斗の時は帝王切開のため、誕生の期待よりも手術に対する恐怖の方が大きかった。
麻酔のため意識が朦朧としているところ、看護婦さんに揺り動かされ、「おめでとうございます。赤ちゃんが誕生しましたよ。男の子です。」と声を掛けられ目を開けるが、目が悪いため赤ちゃんの姿がよく見えない。それに猛烈に眠い。「ありがとうございます。」と呂律のまわらない口調で礼を言い、再び眠りに入る。しかし赤ちゃんの元気な力強い産声が聞こえてくる。ああ、なんて元気な子なんだろうと、薄れゆく意識の中思った。あすとの時は難産のため、羊水を飲み込まないよう口をふさがれてしまっていたため、産声を聞いていない。初めて聞く今度の子の産声は、私をとても幸せな気持ちにしてくれた。そしてなにより五体満足である。本当に安心した。

次に目が覚めたのは縫合が終わった時で、赤ちゃんは既に他の部屋に移されていた。
部屋に戻ると家族が待っていた。手術の恐怖と麻酔の不快感と、産後の発熱のための悪寒でとても心細く、○明さんに手を握ってもらった。
しかし、その手をあすとがふりほどき、「ぼくが握ってあげるの」とかわりに手を握ってくれた。
最初はただのやきもちで、すぐに飽きて手を離すかと思っていたが、帰るまでずっと手を握り続けてくれた。出産前に何度か「赤ちゃんとお母さんは、ぼくが守るんだ」と言い続けていたが、この時もあすとなりに一生懸命私を守ろうとしてくれていたのだろう。
そんなあすとの気持ちがうれしくて、そしてとても励みになった。
私はこととき、この先家族の誰かが手術するようなことがあれば、必ず付き添っていてあげよう、そしてずっと手を握って励ましてあげよう、と考えていた。
でもそれは、あったとしても親か○明さんだと考えていた。
まさか今日生まれたばかりの赤ちゃんの手を、手術後にぎっている運命にあるとはこのとき考えもしなかった。

誕生の2日目、15日ようやく少し体を動かすことができるようになった。でもまだ起き上がれない。そのためまだ赤ちゃんには会うことが出来ない。やはり帝王切開はつらい。自然分娩ならばもうこの日の午後には赤ちゃんはお母さんの部屋にやってくる。しかし帝王切開では顔を見に行くことすらできない。早く赤ちゃんに会いたい。

3日目、16日明け方ガスが出たため、この日はようやく朝食を食べることができた。
しかし急に胃腸が動き出したせいか、午後から下痢になってしまった。何度もトイレを往復するうち、足腰が鍛えられ、夕方には自力で起き上がれるようになった。
おかげで夜○明さんが来た時、一緒に新生児室まで歩いていき、やっと赤ちゃんの顔を見ることができた。
なんて可愛いんだろう。なんて小さいんだろう。あすとはとびぬけて大きかったし、髪の毛がふさふさしていた。それにすぐ整った顔になってしまい、あまりあかちゃんぽくなかった。でもこの子は他の子と大きさもあまり変わらないし、髪の毛も少ない。まだ顔のしわもとれておらずいかにも新生児だ。でもやっぱりあすとに似ている。そんなことを話しながら、赤ちゃんのちょっとしたしぐさや、泣き顔に喜んでいた。早くこの子を抱きしめたい。いとおしくて仕方が無い。生まれるまでは、あすとのことが可愛くて仕方なかったため、新しく生まれてくる赤ちゃんをあすとと同じように愛せるかどうか不安だったが、それは杞憂だった。可愛くて可愛くて愛さずにはいられない。今度は赤ちゃんばかり可愛がってあすとに寂しい思いをさせたらどうしよう、と正反対のことを考えてしまった。

4日目17日朝からおっぱいがはってきたため、赤ちゃんに初おっぱいをあげることになった。
赤ちゃんを抱き上げるとやはりお腹の傷が痛い。でも嬉しさの方が勝る。
生まれて4日目にしてやっと我が子を抱きしめることができた。
しかし初めてのおっぱいはうまくいかなかった。すぐに寝てしまう。
ミルクをやるため看護婦さんが新生児室に連れて行ってしまった。

5日目18日、あすとと○明さんが来た後、看護婦さんが赤ちゃんを連れてきてくれた。あすとと○明さんは大喜びだ。あすとは一生懸命赤ちゃんの頭を撫でてくれる。○明さんはなでなでしたり、ほっぺをつんつんしたりする。私がおっぱいをあげるとやきもちをやいたあすとが抱っこをせがむ。私はまだ傷が痛むにも関わらず両手に我が子2人を抱きしめた。なんて満ち足りた幸せだろう。1時間ほどして看護婦さんが様子を見に来た。結局ほとんどおっぱいを飲んでいないことを告げると、また新生児室に連れて行かれてしまった。
ミルクを飲んだ後部屋に戻るようなことを言っていたのに、なかなか戻ってこない。
運動がてら新生児室に行くと、奥のほうで赤ちゃんが機械にかけられている。何やら不安になるが、そういえば今日は小児科の先生の検診の日であったことを思い出した。
この日、夕方も赤ちゃんは部屋に来てくれた。相変わらずよく寝ている。でも寝顔を眺めているだけでも幸せだった。会えなかった4日間を取り戻すように、私は赤ちゃんを眺め尽くした。

6日目、19日看護婦さんが小児科の先生を連れて、赤ちゃんのことで話があると言った。
なんだか不安になる。姿勢を正すと、小児科の先生は話し始めた。
「心臓に雑音が聞こえます。詳しいことはまだわかりませんが、これから詳しく検査を行っていきます。そのため、本来なら今日から同室ですが、赤ちゃんは新生児室で看護婦が様子を見ます」とのことだった。
雑音が聞こえるというのは何を意味するのだろう?私は言い知れぬ不安に襲われ「それは大きな病気ということですか?」と尋ねた。聞きながらこらえきれず涙があふれてきた。
「いえ、今はまだわかりませんので、明日検査の結果をお知らせします。」という返事が返ってきた。それではわからない。こらえきれない涙をながしていると、看護婦さんが、「まだ病気ときまったわけではないからね。」と慰めてくれた。
でも私の不安は消えない。とにかく○明さんに知らせなければ。すぐにメールをしたが返事はない。私は1人不安をかかえて病室で泣いていた。
30分ぐらいしてから○明さんが来てくれた。メールをまだ読んでいないらしく、事情を話したら困惑するものの、「とにかく診てもらおう。たいした病気と限らない。」と慰めてくれた。たしかにそうだ。私は前向きに考えた。考えようとした。このときはあすとがいたため、暗い気持ちも明るいあすとのおかげで吹き飛んでいく。
でも1人になるとやはり考えは悪い方向に向かってしまう。心臓が悪いとなると、長く生きられないのだろうか。生きられたとしても、一生薬を飲みつづけ、走ることもできず、やりたいこともできないのだろうか。寝たままでいないといけないのだろうか。次から次へと不安な想像が持ち上がってくる。妊娠中の漠然とした不安はこれだったのだろうか。それならば、妊娠中に決心したはずだ。どんな運命も受け入れようと。この子はこれから病気と闘っていかなければならないかもしれない。大変な思いをするだろう。それにつきあう親もきっと苦労するだろう。あすとに寂しい思いをさせることになるだろう。でもこの子は、この家族なら、そんな試練を乗り越えてくれるはずだ、この家族と一緒にならがんばっていける、とそう思ったからこそ私達を親に選んでくれたのだ。ならばこの子のために私達がしてあげることは、こんなふうに泣いている事じゃない。気をしっかりもって現実をうけとめなければ。そう自分を励ました。

次の日20日は検査のため、赤ちゃんは部屋に来てくれなかった。私は病室に1人ぼっちでいる。ただ検査の結果が良好で、病気ではなかった、と先生から聞かされることを何度も何度も祈った。
病気かも知れないというショックのあまり、はっていたおっぱいも乳がでなくなってしまった。
でもこれではいけない。まだ病気と決まったわけじゃない。こんなところで落ち込んでいる場合じゃない。私は少しでも乳がでるよう、出された食事は全て食べ、うまく飲めない赤ちゃんのために乳をしぼった。今私ができることはこれだけしかない。
その夜いぐちゃんがお見舞いに来てくれた。病気の内容がはっきりするまでは人に話すことじゃない。でも本来なら、赤ちゃんは昨日からお母さんと同室で今ごろならいぐちゃんに赤ちゃんの可愛いい顔を見せてあげられたはずなのに、と考えると涙をこらえることができなかった。私はいぐちゃんに心臓のことを打ち明けた。打ち明けられてもこまるだろうに、でもいぐちゃんは心から私を励ましてくれた。「あの子は不思議な力を持っている。自分が病気だとわかったから、お腹の中からSOSを出して病院を総合病院に変更させたり、心臓に負担を掛けないよう帝王切開にさせたりしたのだ。あの子は生きようとがんばっているのだから、朝子さんもがんばって」と。この言葉は私にとって本当に救いとなった。そうだ、がんばらなきゃ。私は前向きに考えられるようになった。

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