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はじめに−とうちゃんが綴った−由宇斗物語ゆうと〜母の思い〜
遥かな世界ゆうとの病気アルバム|あとがき

あとがき

2004.12.1
名古屋シティマラソン・河口湖日刊スポーツマラソンと
このバッチをつけて走りました。
両日とも天気に恵まれ、名古屋の街並みと富士山・紅葉を見せてあげることができました。

2004.11.6
ゆうとのバッチができました!
これで常にいろんな景色を見せてあげることができます。
まずは、次のマラソンから一緒です。


2004.10.28
昨日、夜中に急に目が覚めた。
そしてなぜかそのときは、その瞬間に目を開けた。
布団の横のタンスから金色の眩しい光が差し込んでいたのが見えた。
でもそれは一瞬で消えてしまった。
そのとき何の迷いもなく思った、「由宇斗が向こうの世界からこちらを覗いていたのかなぁ」って。
なかなか夢の中にもでてこなかったけど、こうして別の世界にいるんだよって教えてくれたのかもしれない。
本来の場所で元気でいることを知らせてくれたのかも。
そうであったらうれしいなぁ。
なんとなくちょっと安心したような気持ちになった。
幻覚だと言われればそうかもしれない。でも私は自分感じたことを信じていこう。

今日は2ヶ月目の命日です。

2004.10.15
なんとか四十九日に間に合いました。
内容的にはまだまだですが、とりあえず形になったかなという感じです。
不思議なもので、公開しようと思うと、あれやこれやといろんなことを載せたくなっていくものです。
まぁ、これからは焦らず徐々に追加していこうと思っています。

今回は、ゆうとへの思いが中心です。
私がこの物語を書こうと思ったのは、ゆうとが旅立った数日後でした。
まだまだ悲しみの淵にあり、この先いったいどうすればいいのかさえわかない状態でした。
そんな中で、ゆうとが存在したことをちゃんと残したい、少なくともゆうとを知っている人には、彼の生きた様子を伝えたいと思い書き始めました。
実際に文章として書こうとすると、辛くなる反面、忘れかけていたようなことも思い出されて、心の整理にもなりました。
また「遥かな世界」にて、これまで自分が漠然と思っていたことを1つの物語としてまとめることができました。

ちょっとづづではあるけど、自分自身がかわってきたのでしょう。
そんな中で1つだけ、かわらないものがあります。
かわらないというより、強くなる思いです。それは後悔です。
最初はゆうとが旅立ってしまったのは、運命だと思っていました。
「できることはやったのだから、みんな頑張ったのだから、だからどうすることもできなかった、つまりそうなる運命だったのだ」と。
その当時は、あまりの悲しみに、あまりの辛さに、そう思うことで自分を納得させていたのかもしれません。
でも本当にそうだったのか?私自身、できることはやれたのだろうか?そんな疑問が常に沸き起こってきます。
病院を選ぶ際に、確かにいろんなところから情報を取った。しかし、どんなに集めたところで所詮は、他人の意見である。本当に重要なことなら、どうして自分が直接病院に行き、話を聞かなかったのか?
そもそも、情報自体が多くなかったのでは。もっと集めようと思えばできたのに。
また手術を決める際も、なぜもっと考えなかったのか?手術の場合は、他の病院にセカンドオピニオンを受けようと考えていたのに。姑息手術だから安易に考えていたのではないのか?
もし、違い病院にしていたら、もし、手術の検討に時間をかけていたら、ひょっとしたらもっと生きられたのでは、と思うと‥。
すべては、私の判断が間違っていたから、こんな結果になったんじゃないかと。

起きてしまったことに違う仮定をしても、こんなことにいくら思いを巡らしても、何もわからないもわかっている。でも、湧き出てくる思いを抑えることはできない。
ならば、常にこのことを思いながら生きていこう。
そうすれば、この先私が向こうに旅立ったときに、真先にゆうとにあるいは神様に聞くことができるから。
今後生きていく中で、重大な判断をするときに、決して後悔をしないようにするはずだから。



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